竹の谷蔓牛のこと。

ふとご縁ができて、今年の1月に岡山県新見市まで
竹の谷蔓牛に会いに行ってきました。

<たけまき8の1(大槇ー竹槙5ー竹谷蔓)9.6歳の経産牛>

日本最古の蔓牛である「竹の谷蔓」は、
和牛に携わるものにとってはどこか憧れの存在です。
おそらく、生産者さんにとっても、
流通・販売に携わる立場としても。
もし、その存在を知っている料理人さんがいれば、
同じ気持ちを持たれるかもしれません。

黒毛和牛の基礎をなす血統の元祖である「竹の谷蔓」は
登記上は「黒毛和牛」になるのですが、
改良されていないので、サシが入りずらく、
大きくもなりずらい、昔ながらの和牛です。
そのため、今の経済効率優先の価値観においては、
評価されず、どんどん飼う方が減っていて、
現在、純血は全国で50頭もいないくらい、とのこと。

そんな幻のような存在の竹の谷蔓ですが、
ここ1年くらいで、あちこち身近なところから
その名前が聞こえてくるようになりました。
そんな1つのご縁から昨年の秋には北海道で実際に
竹の谷蔓のお肉を食べさせて頂くことができました。
なんと種牛くんのお肉だったのですが、
思ったより歯応えもなく心地よい噛み心地だった上に、
力強い赤身の味わいがあって、とても好みの肉でした。

実は、竹の谷蔓の話は今から6年前、2016年11月に
島根県で開催された産肉研究会で講演させてもらったときに
参加者のお一人だった岡山県のある牧場の社長が
「最近、竹の谷蔓を飼い始めたんです。良ければ仕上がったらぜひ」
と言ってくださり、その場で話が盛り上がって、
後日、一冊のこんな本を送ってくださいました。

その時は、お肉を扱わせていただくことはなかったですが、
今になって、またこの本を引っ張りだすことになるとは、
めぐりめぐって、なにかのご縁なのかなぁと。

ただ、知っている人にとっては貴重なものでも、
知らない人にとっては、なかなかその価値が理解しずらいかと。
私自身もなんとなく漠然とすごい存在ということは
認識していても正しく説明できる自信はありません。

なので、改めて、こちらの本を読んで復習していた内容を
ここにまとめておきたいと思います。

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<現在の新見市の一部である神郷町(しんごうちょう)について>

(広島県・鳥取県と境を接しているこの地域は)
古くからの和牛産地であり、人の交流とともに牛も交流し、
とくに婚礼の時などは嫁入り道具のひとつとして
牛が連れて行かれるなどの慣習が多かった。

<地域産業との繋がり>

牛は時代の産物であるとともに、また風土の産物である。
この近隣には広大な花崗岩地帯が広がっている。
その影響で、この地方では製鉄業が重要産業であった。
一見、製鉄と牛は関係ないように思われるが、
当時の製鉄には大量の物資運搬が必要だった。
樹木を伐採して運び、できた木炭も運び、できた製品の鉄も流通現場まで運ぶ。
その手段として、山間部の山道であるから、
馬あるいは牛の背以外に大量運搬の手段がなかった。
このために、中国山地の各所で行われた製鉄地帯は、
同時に牛や馬の産地でもあったのである。
そして、この地域での製鉄に関連した運搬手段としての牛馬需要のうち、
かなりの部分が牛であったことが推測されている。

<この地域での牛の飼い方>

北部地帯では冬季や、使役を必要とする農繁期以外は、
春から秋までのほとんどを放牧で飼育されていた。
それも放牧地を柵で囲むのではなく、逆に人家や耕地を柵で囲い、
それ以外の土地は牛馬が自由に行動できる形で
もちろん自由交尾で繁殖されていたとのこと。
(牛馬優先!)

<そもそも「蔓」とは>

中国地方の主要産地では、つとに和牛の優良形質の
維持、改良、固定につとめてきたが、そのうち
特に優れた良い系統を「蔓」と称してこれを珍重するに至った。
「蔓」という言葉は植物の蔓に由来するもので、
1本の蔓に同じ種類の実が多数に付くのと同様、
牛の場合も特性のよく似た多数のすぐれた牛が、
血統を辿ってみると同じ先祖につながっているという現象を指し、
このような同一系統の牛群を「つる牛」という。

<蔓牛に共通する美点>

①体質強健で、悪癖なく、性質よろしきこと(健康体で良い性格)
②繁殖力旺盛で、雌は連産すること(繁殖成績よし)
③長命系、連産系に属すること(長生き)

<竹の谷蔓の誕生>

18世紀末頃、神郷町に「浪花千代平」という、
父親「浪花元助」の遺志を継いだ畜産家がいた。
畜産に従事するかたわら、牛馬商を営み、広く優良牛を買い集めて
村の農家に預託したり、また貧農に対しては無償で貸付してその家計を助けたり、
郷里の村のために尽くす、信望あつい人間だった。
その浪花千代平が、天保元年(1830年)たまたま、
1頭の良い雌牛を得たが、この雌牛が1頭の雌仔牛を産んだところ、
骨格が優美でよく、4歳で体高4尺2寸(127㎝)余りに及び、
その妹の牛もまた優良で4尺1寸(124㎝)余りに達し、
ともに繁殖牛にしたところ、どちらも良い牛を産んだ。
また生まれた雄の仔牛を4歳まで育成して、
母牛に交配したところ、良い牛が立て続けに生まれ、
ついに集落の名前である「竹の谷」蔓牛の名前を冠するにいたった。
こうして、竹の谷蔓が最古の蔓牛として誕生した。

<竹の谷蔓の特徴・名声の理由>

竹の谷蔓牛は、蔓牛の美点を踏まえたうえで、このほかに、
体格が大きく、体積が豊かで、雌の乳量が多く、仔牛の発育が良好であること、
肩がよろしく、胸が広く、背線平直で、腰が強く、後躯の発育が特に良好であること、
毛色は別として、皮膚、被毛、角、蹄などの資質が良好であること。
が特徴として挙げられている。
また、竹の谷蔓牛はきわめて長命連産性で
23歳まで生きて、19頭の仔牛を産んだ牛もいたといい伝えられていたり、
老齢になって、全身白毛となり、失明するまで生きていた牛もいたという。

<竹の谷の現状・著者の想い>

竹の谷の名声は和牛関係者のよく知るところであるが、
その発生地竹の谷は分県地図にも載せられていない無人の集落である。
竹の谷蔓牛の流れを汲む地元の系統の牛も残り少なくなっているから、
放置すれば竹の谷も、竹の谷蔓牛も伝説的存在になることは明らか。
日本最古の蔓牛発祥の地として、ここになんらかのモニュメントを
残しておくべきではなかろうか。

(一部、伝わりやすいよう言葉を換えさせて頂きました)
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ちなみにこの本は、全国和牛登録協会の初代会長を勤められた、
羽部義孝氏が調査し、1949年にまとめられた内容の復刻版を含めて、
井上良氏が今から20年前の2003年に書かれたもの。

また、1980年頃から平田五美さんという生産者さんが
「竹の谷蔓」保存維持の活動をされてきたこともよく耳にします。

時代を越えて、今まで関わってこられた方々の想いを知ると、
なおさら今、私たちが生きる時代にこの貴重な血筋を
途絶えさせたくない気持ちになります。

岩手の短角牛、熊本のあか牛、山口の無角和牛、
それぞれの地域に根差した個性豊かな畜産の形が
メインストリームではなくても、一側面として
より大事になる時代がやってくると感じます。
(その流通の苦労も十分わかったうえで。。笑)
岡山県のこの地で生まれた竹の谷蔓牛もそういった存在として
また次の時代に引き継がれていくことを願っています。